04-11-18_23-48.jpg勝手に届く朝日新聞
朝刊には目を通してるけど、魅力ある記事が少ない
私の興味とは違うと改めて認識する結果になった

それにしても天声人語はひどい

技術が進み、世の中が便利になっていくことが悪だといっている
そして、偉大な技術者・発明家を馬鹿にした締め括り

変化についていけないおじさんのボヤキを一面に載せる
そんな新聞にお金を払いたいとは思わないのだけど・・
asahi.com : アサヒ・コム
11月18日付
■《天声人語》

 路地を歩いていた。先の方の四つ辻に、子犬を連れた男性が立っていた。こちらから見て右を向き、誰かと話している。相手の姿は角の家に隠れて見えない。やがて辻に近づき右手を見ると、そこには誰もいなかった。死角になっていた男性の左の耳もとに携帯電話があった。

 いわば一人一人が電話ボックスを持ち歩くようになって、そうはたっていない。しかし本紙の世論調査では、20代の3割が「ない生活は考えられない」と答えた。

 「これからも携帯は下手なままでいます」。明治学院大教授、辻信一さんの意見に、下手な一人として共感を覚えた。携帯の便利さは、速さと効率を競う社会での便利さで、半面、人と人が向き合うことで得られる大切な「つながり」が失われていると述べる。いつでもどこでも、つながりを求めながら、つながりの薄れる時代なのか。

 辻さんは『スロー・イズ・ビューティフル――遅さとしての文化』(平凡社)の後書きに、長田弘さんの詩「ふろふきの食べかた」を引いていた。「そうして、深い鍋に放り込む。/底に夢を敷いておいて、/冷たい水をかぶるくらい差して、/弱火でコトコト煮込んでゆく。/自分の一日をやわらかに/静かに熱く煮込んでゆくんだ」

 有線電話をベルが発明したのは、1876年、明治9年だった。明治の初期は、電話よりも「伝話」の方がよく使われ、テレホンは「得利風」とも書かれた(『無線百話』クリエイト・クルーズ)。

 ベルが今よみがえったら、怪しむだろう。「彼らは透明人間と話しているのか」